「小さな会社のSaaSの育て方」と題して、boardの10年間を振り返っていく企画の第5回です。今回のテーマは「初期の集客」についてです。
特別な施策を行ったわけではないので、内容としては月並みなのですが。
無名のサービスをトライアルしてもらう難しさ
小さな、そして無名の会社にとって最大の難関は、やはり集客ではないでしょうか。
「ヴェルク」という社名も、「board」というサービス名も、ほとんどの人にとっては初耳です。知人やTwitterで繋がっている方以外には、基本的にリーチできません。そして、仮に届いたとしても、無名なサービスを試してもらうのは本当にハードルが高いです。
実際にサービスを公開してみて痛感したのは、プレスリリースを出しても全く取り上げてもらえないという現実です。立場を変えて考えてみれば当然の話で、無名の企業のサービスには、そもそもニュース価値がないんですよね。
スタートアップが資金調達してニュースになっているのを目にするたび、正直うらやましく思っていました。
※boardがメディアに取り上げられたことはほとんどありませんが、リリースから数年後、ASCIIさんが記事にしてくださった際は、本当にありがたかったです。ASCIIさんには、一生足を向けて寝られません。
広告出稿も同様に厳しいものでした。資金調達をしていない以上、広告に割ける予算はごくわずか。さらに、サービスの単価が安いため、広告の費用対効果も見合いません。
初期の数年間は、検証も兼ねてFacebook広告やリスティング広告を出してみたのですが、成果は芳しくありませんでした。
SNSに助けられた
そんな中で唯一の光明だったのがSNSでした。これは本当に救いになりました。
知人やTwitter・Facebookで繋がっていた方々、過去に受託開発で関わったお客様などが、boardについて投稿・シェアしてくださり、それがきっかけでサービスを知ってもらえるようになったのです。
当時は「受託開発特化型」というキーワードを前面に打ち出しており、主に受託開発を行っている方々に興味を持っていただけました。その結果、2015年ごろ(リリースから約1年)は、登録ユーザーの約7割がIT系の企業でした。
※現在は特定の業界に偏ることなく、さまざまな業界でご利用いただいています。
当時、請求書サービスはすでにいくつかありましたが、「案件」単位での管理に最適化された、受託ビジネスにフィットする設計思想のサービスは存在しませんでした。「受託の会社が、受託の会社のために作ったサービス」という立ち位置も評価され、SNS上でシェアしていただけたのだと思います。
「受託の会社が自社サービスを立ち上げる」というテーマのブログ
起業当初(2011年)からブログを継続しており、boardの前にもスマホアプリ向けサービスをやっていてそれについて書くなど、「受託の会社が自社サービスを立ち上げる」試みについては、継続的に発信していました。
そのブログがきっかけでboardを知ってくださった方がいたり、BPStudyにお招きいただいて登壇したこともありました。
※余談ですが、「自社サービス」という表現をよく使っていた当時と比べ、boardが主力事業になってからはあまり言わなくなりました。事業の重心が変わったことを実感する、個人的な変化ポイントでもあります。
振り返っての考察
振り返ってみると、「SNSとブログ」というごく当たり前の手段に尽きるなと感じます。
2009年ごろからTwitterをやっていたおかげで、業界内のゆるい繋がりがありましたし、「受託の会社が自社サービスを立ち上げる」というテーマに共感・応援してくださる方々にも助けられました。本当にありがたいことです。
また、ブログを細々とでも書き続けていたことも大きかったと思います。今振り返ると恥ずかしい内容も多いですが、当時は試行錯誤しながら日々模索していて、それを記録として残していたことが、思いがけない形で活きました。
boardというサービスそのものがSNSで「バズった」ということは全くありません。ただ、「自分たち以外の誰かが、たまにシェアしてくれる」という事実は、とても大きな意味を持っていたと感じます。
以下は、boardの有料登録数の推移を示すグラフです。初期のゆっくりとした成長の様子が、よくわかるかと思います。
ヴェルクは受託開発を本業としていたので、すぐに自社サービスが伸びなくても経営は成り立っていました。だからこそ、boardの成長を待つことができたのです。
もし受託開発の土台がなければ、boardが軌道に乗る前に諦めていたかもしれません。
資金調達をせず、受託で稼いだお金だけで運営していたため、先行投資として大きな支出はできませんでした。また、boardは低価格帯のサービスなので、広告など費用をかけた施策はそもそも選択肢に入れにくい状況でした。
「広告を出さずにやった」というのは、理想を追ったわけではなく、選択肢がなかったからこそ選ばざるを得なかった手段だったのです。
2014年当時は、まだSaaS自体が少なく、いわゆるアーリーアダプター層の方々が新しいサービスを積極的に探しているタイミングでした。そういった「時期の良さ」にも少なからず助けられたのだと思っています。